明治時代 / 明治4年
明治4年
岩倉使節団
岩倉具視を全権大使とする大使節団が欧米を歴訪。条約改正の予備交渉と、政治・産業・教育・軍事制度の調査を進めた。
条約改正交渉は委任状不足と条件の厳しさで成果を得られなかった。一方、約1年10か月の調査は、帰国後の殖産興業・教育・憲法制度に大きく影響した。
- 場所
- 神奈川県・横浜港
- 天皇
- 明治天皇第122代天皇
- 関係人物
- 5名

OVERVIEW
岩倉使節団を4段階で理解する
不平等条約の改正期限を前に、新政府は国際制度を学ぶ必要があった
関税自主権と領事裁判権を制限された条約の改正を目指すには、欧米が求める法制度と国家の仕組みを理解しなければなりませんでした。
政府首脳自身が各国を見て、改正交渉と制度調査を同時に進めようとした
岩倉具視を大使、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文・山口尚芳を副使とし、官僚・留学生を含む大規模な一行を編成しました。
米国から欧州を巡り、工場・議会・学校・軍隊・博物館を詳細に視察した
条約交渉では正式な全権委任状がないことが問題となり、大久保と伊藤が一時帰国。交渉を切り上げた後は制度調査へ重点を移しました。
帰国組は『追いつくための国家建設』を急ぎ、留守政府と政策対立した
産業育成、教育制度、軍事、憲法研究などに視察経験が生かされました。征韓論争では帰国した岩倉・大久保らが内治優先を唱え、政変につながりました。
DEEP DIVE
条約改正に失敗した使節団を、なぜ成功と評価することがあるのか。
当初の外交目標は達成できませんでした。しかし政府中枢が各国の制度を比較し、日本の改革課題を具体化した調査旅行として大きな効果を持ちました。
BACKGROUND
背景を掘り下げる
条約改正期限
幕末条約の改正を協議できる時期が近づいていました。
比較する国家像
米国・英国・ドイツなど異なる制度を同じ旅で観察しました。
留学生同行
津田梅子ら女子留学生を含む若者が長期留学へ向かいました。
CHRONOLOGY
何が起こったのか
横浜を出発
米国サンフランシスコへ向かいました。
米国で交渉
全権委任状の不足が判明しました。
欧州を視察
政治・産業・教育を比較調査しました。
帰国
直後に征韓論争へ入りました。
KEY PEOPLE
岩倉使節団を動かした人物
RELATIONSHIP
岩倉使節団 人物相関図
大使・副使と、国内に残った政府の役割を整理します。
岩倉 具視特命全権大使
木戸 孝允副使
大久保 利通副使
伊藤 博文副使
明治天皇政府の正統性の中心
大隈 重信財政・制度運営岩倉 具視大使と副使伊藤 博文交渉と視察を分担
大久保 利通政府運営大隈 重信外遊組と留守政府が改革を分担
QUESTIONS
よくある疑問
条約改正を実現したのか
予備交渉にとどまり、改正は実現しませんでした。正式な改正はその後の長い交渉を要します。
国内改革は止まっていたのか
留守政府は学制・徴兵令・地租改正など重要政策を進め、帰国組との摩擦を生みました。
IMPACT
その後、何が変わったか
殖産興業
工場・交通・博覧会の視察が産業政策へ反映されました。
制度比較
単一国の模倣ではなく複数国から制度を選ぶ視点を得ました。
政府内対立
帰国組と留守政府の政策差が明治六年政変へつながりました。
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