明治時代 / 明治6年
明治6年
徴兵令
満20歳の男子を原則として兵役の対象とする全国徴兵制を公布。身分ごとの軍事負担を改め、政府直属の軍隊を形成した。
当初は戸主・嗣子・代人料など多くの免役があり、全員が同じ負担をしたわけではない。『血税』という語への誤解と生活負担から徴兵反対一揆も起きた。
- 場所
- 東京府・太政官
- 天皇
- 明治天皇第122代天皇
- 関係人物
- 3名

OVERVIEW
徴兵令を4段階で理解する
廃藩置県後、政府は藩兵に代わる全国統一軍を必要とした
御親兵は薩長土の兵を中心とし、地域・藩閥への依存が残っていました。対外防衛と国内治安のため、政府が直接動員できる軍隊が求められました。
山県有朋らが欧州軍制を参考に、身分を越える兵役を構想した
武士だけが軍事を担う仕組みを廃し、国民を兵力とする近代国家の制度へ転換しました。前年の徴兵告諭を経て、1873年1月に徴兵令が公布されました。
20歳男子に検査と兵役を課した一方、多くの免役条項が設けられた
常備軍三年・後備軍四年を基本としましたが、戸主や家の相続人、代人料を納めた者などは免役されました。負担は次男以下や貧しい層に偏る傾向がありました。
徴兵軍は西南戦争を経て定着し、免役は次第に縮小された
反対一揆や逃亡が起きましたが、政府は戸籍と警察を用いて徴集を強化。1889年の全面改正で免役規定を減らし、男子一般の兵役へ近づきました。
DEEP DIVE
徴兵令は、本当に『四民平等』の軍隊を作ったのか。
武士の軍事独占を崩しましたが、初期制度には広い免役がありました。理念と実際の負担には大きな差があり、改正を重ねて一般兵役へ近づきました。
BACKGROUND
背景を掘り下げる
藩兵の解体
廃藩置県で藩の軍隊を政府軍へ統合する必要がありました。
欧州軍制
山県らはプロイセン・フランスなどの制度を調査しました。
戸籍制度
徴兵対象を把握するため戸籍と地方行政が不可欠でした。
CHRONOLOGY
何が起こったのか
徴兵告諭
国民皆兵の理念を示しました。
徴兵令公布
各府県で徴集事務が始まりました。
徴兵反対一揆
血税の誤解や生活負担への反発が広がりました。
西南戦争
徴兵兵を含む政府軍が大規模内戦を戦いました。
KEY PEOPLE
徴兵令を動かした人物
RELATIONSHIP
徴兵令 人物相関図
制度を作る政府、軍を指揮する側、負担を受ける民衆の関係を整理します。
明治天皇徴兵令を公布
山県 有朋陸軍制度を整備
西郷 隆盛近衛都督・のち政府を離れる明治天皇公布と制度山県 有朋政府直属軍を全国から編成
山県 有朋軍制整備西郷 隆盛初期政府で軍事を担うが後に対立
QUESTIONS
よくある疑問
政府が血を採ったのか
告諭の『血税』は身体をもって国に報いる比喩でしたが、採血の噂として受け取られ反対運動の一因になりました。
金持ちは兵役を免れたのか
代人料など経済力で免役できる仕組みがあり、制度は後に改められました。
IMPACT
その後、何が変わったか
士族特権の解体
武士だけが武装する秩序を崩しました。
中央軍の形成
政府が全国から直接兵力を動員できるようになりました。
国家と個人の関係
兵役が成人男性と国家を直接結ぶ制度になりました。
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