明治時代 / 明治4年
明治4年
廃藩置県
明治政府が藩を廃止して府県へ再編し、旧藩主に代わる知事を中央から任命。近代国家の中央集権化を大きく進めた。
版籍奉還で土地と人民を朝廷へ返した後も、旧藩主は知藩事として藩を統治していました。廃藩置県はその自治権を一挙に廃し、租税・軍事・行政を中央政府へ集める改革です。反発に備え、薩長土の兵を御親兵として東京へ集めてから断行されました。
- 場所
- 東京・全国
- 天皇
- 明治天皇第122代天皇
- 関係人物
- 3名

OVERVIEW
廃藩置県を4段階で理解する
新政府の下に、旧幕府領の府県と約260の藩が並立していた
戊辰戦争後も各藩は独自の財政・兵力・法令を持ち、新政府の命令が全国へ一律に届く体制ではありませんでした。藩の債務や地域ごとの税制も大きな課題でした。
全国統一の税・軍隊・行政をつくるには藩の権限廃止が必要だった
欧米諸国と対等な国家を目指すには、中央政府が外交・軍事・財政を直接掌握する必要がありました。政府首脳は有力藩の反乱に備えて兵力を整え、改革を秘密裏に準備しました。
3府302県を設け、知藩事を免職して東京へ移した
1871年7月14日、明治天皇の詔によって藩が廃止されました。旧藩主は知藩事を解かれ、政府が任命する府知事・県令が行政を担いました。
府県を統合し、中央官庁による全国行政を整えた
同年11月には府県が3府72県へ統合され、その後も境界の再編が続きました。徴兵令・地租改正・学制など全国一律の制度を実施する基盤が整いました。
DEEP DIVE
なぜ旧藩主は、領地と軍隊を失う改革に大規模な抵抗をしなかったのか。
版籍奉還ですでに土地と人民を朝廷へ返す形式が作られ、藩財政の多くは債務で苦しんでいました。政府は旧藩主の家禄と東京居住を保障し、同時に御親兵を置いて軍事的な抵抗を抑える準備をしていました。
BACKGROUND
背景を掘り下げる
版籍奉還の限界
1869年に藩主は土地と人民を返上しましたが、知藩事として旧領を統治し、実態は大きく残りました。
藩財政の危機
戊辰戦争と近代化費用、江戸時代からの債務で多くの藩が財政難にあり、政府による債務整理を必要としていました。
御親兵の設置
薩摩・長州・土佐から兵を集めて中央直属軍を作り、有力藩が反対した場合に備えました。
CHRONOLOGY
何が起こったのか
版籍奉還
藩主が土地と人民を朝廷へ返し、知藩事として再任されました。
御親兵を編成
薩長土の兵を東京へ集め、中央政府直属の軍事力を確保しました。
廃藩置県を断行
知藩事を免職し、藩を府県へ置き換える詔が出されました。
旧藩主を東京へ
華族として東京居住を命じ、地方行政から切り離しました。
府県を統合
3府302県を3府72県へ整理し、中央から県令を派遣しました。
KEY PEOPLE
廃藩置県を動かした人物
RELATIONSHIP
廃藩置県 人物相関図
天皇の詔と政府首脳、旧藩を支えた兵力の関係を整理します。
明治天皇廃藩置県の詔
大久保 利通制度設計を推進
西郷 隆盛御親兵と軍事面を支える明治天皇詔と政策大久保 利通政府首脳の案を天皇の詔として実施
大久保 利通薩摩出身の政府首脳西郷 隆盛制度と軍事の両面から改革を支える
QUESTIONS
よくある疑問
廃藩置県で一気に47都道府県になったのか
直後は3府302県でした。統廃合を繰り返し、1888年以降に現在に近い府県構成となりました。
大名はどうなったのか
知藩事を解任され東京へ移住し、華族として家禄を受けました。のちの秩禄処分で家禄制度も整理されます。
庶民の暮らしはすぐ変わったのか
行政名は変わりましたが、村の運営や税負担は段階的に再編されました。地租改正・学制・徴兵令が具体的な変化をもたらします。
IMPACT
その後、何が変わったか
中央集権国家の成立
政府が地方官を任命し、全国の財政・軍事・司法を統一する基盤を得ました。
全国制度の実施
徴兵令、学制、地租改正など、地域を越えて同じ制度を適用できるようになりました。
地域境界の再編
旧藩領を越えた府県統合が進み、現在の都道府県につながる行政区画が形成されました。
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