地図と人物でたどる、日本の時間。

明治時代 / 明治2年

1869
明治2年

版籍奉還

薩長土肥四藩主の建白をきっかけに、諸大名が領地と領民を朝廷へ返上。旧藩主は知藩事となり、廃藩置県への中間段階が生まれた。

『藩がこの時に消えた』わけではない。政府は旧藩主を知藩事に任命し直し、藩の行政機構を残しながら主従関係と土地支配の名目を中央へ集めた。

場所
東京府・皇城
天皇
明治天皇第122代天皇
関係人物
4
木戸孝允の写真
木戸孝允像版籍奉還を構想した政府指導者画像出典 ↗

OVERVIEW

版籍奉還を4段階で理解する

01 / 時代背景

新政府は成立したが、税と軍隊の多くは依然として各藩が握っていた

全国には江戸時代以来の藩行政が残り、中央政府の財源は乏しい状態でした。戊辰戦争後の賞典禄と藩財政の負担も、統一国家づくりの障害になりました。

02 / 起こった理由

薩摩・長州・土佐・肥前が領地・領民の返上を建白した

政府中枢の有力藩が先に返上を申し出ることで、他藩にも同調を迫りました。木戸孝允・大久保利通らは中央集権への現実的な第一歩として構想しました。

03 / 何が起こった

旧藩主は知藩事に任命され、家臣と領民の関係が公的に再編された

藩主は土地を私有する大名から政府任命の地方官へ位置づけ直されました。ただし藩ごとの税制・軍隊・財政は残り、中央の統制はまだ限定的でした。

04 / その後

不統一と財政難を解消するため、1871年の廃藩置県へ進んだ

知藩事と藩制度を残す妥協策では統一行政を作れず、政府は御親兵を整えた上で廃藩置県を断行。県令を中央から派遣する体制へ移しました。

DEEP DIVE

版籍奉還で、なぜ藩はまだ残ったのか。

全国を直接統治する人員・軍事・財源が政府に不足していたためです。旧藩の行政を一時利用しながら、主権の名目を中央へ移しました。

建白1869年1月薩長土肥
勅許6月全国へ波及
旧藩主知藩事地方官へ
次の改革1871年廃藩置県

LOCATION

地図で見る

ピンは東京奠都後の新政府中枢・皇居周辺です。最初の四藩による建白は、各藩と朝廷・政府を結ぶ政治過程でした。

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BACKGROUND

背景を掘り下げる

藩ごとの財政

税率・通貨・債務が異なり、統一行政は困難でした。

戊辰戦争後

軍功処分と旧領再編が新政府の緊急課題でした。

四藩の先行

有力藩が率先し、全国の大名へ政治的圧力を作りました。

CHRONOLOGY

何が起こったのか

  1. 四藩主が建白

    薩長土肥が版籍奉還を申し出ました。

  2. 返上を勅許

    旧藩主を知藩事に任命しました。

  3. 藩制を整備

    知藩事の職務を制度化しました。

  4. 廃藩置県

    知藩事を免じ、県へ再編しました。

KEY PEOPLE

版籍奉還を動かした人物

RELATIONSHIP

版籍奉還 人物相関図

四藩の先行建白と、中央政府の制度設計を整理します。

明治天皇勅許と建白木戸 孝允藩主の返上を政府が受理

木戸 孝允協働大久保 利通廃藩置県へつながる制度を設計

版籍奉還は領地・領民を一挙に政府直轄へした完成形ではなく、旧藩主を知藩事に替える移行措置でした。

QUESTIONS

よくある疑問

用語

版と籍は何を指すのか

版は土地、籍は人民・戸籍を表すと説明されます。大名支配の根拠を朝廷へ返す意味でした。

実態

農民の暮らしはすぐ変わったか

行政担当者と税の仕組みが直ちに一新されたわけではなく、変化は廃藩置県後も段階的でした。

IMPACT

その後、何が変わったか

01

大名から地方官へ

旧藩主の地位を政府任命職へ変えました。

02

中央集権の名分

土地と人民は国家が統治するという原則を示しました。

03

廃藩置県への橋

残った藩制度の矛盾が次の改革を促しました。

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SOURCES

根拠と参考資料

公文書館版籍奉還四藩建白と知藩事任命の公文書を解説。一次情報を見る ↗公文書館近代日本のあゆみ幕末から明治の制度形成を公文書で確認。一次情報を見る ↗史料集史料にみる日本の近代政治・外交・社会運動を一次史料と解説でたどる。一次情報を見る ↗