江戸時代 / 安政7年
安政7年
桜田門外の変
大老井伊直弼が江戸城登城途中、桜田門外で水戸浪士を中心とする一団に襲撃され死亡。幕府最高職が白昼に倒れた。
条約調印、将軍継嗣、安政の大獄への反発が重なった事件。幕府は直弼の死を一時隠したが、権威低下と政治的暗殺の連鎖を止められなかった。
- 場所
- 武蔵国・江戸城桜田門外
- 天皇
- 孝明天皇第121代天皇
- 関係人物
- 3名

OVERVIEW
桜田門外の変を4段階で理解する
開国と将軍継嗣をめぐり、幕府・諸藩・朝廷の対立が深まった
直弼は勅許を得ないまま日米修好通商条約へ調印し、将軍後継に徳川家茂を選びました。一橋慶喜を推す水戸・越前・薩摩などの勢力と鋭く対立しました。
安政の大獄で反対派を処罰したことが、水戸浪士の憤激を強めた
幕府は大名・公家・志士を処分し、水戸藩には勅書返納を求めました。脱藩した水戸浪士らは直弼を国難の原因とみなし、襲撃を計画しました。
大雪の朝、行列を銃撃して混乱させ、駕籠の直弼を討った
1860年3月3日、桜田門外で18人の襲撃者が彦根藩行列を襲いました。雪で視界と装備が悪い中、短時間の斬り合いで直弼は死亡しました。
幕府は公武合体で権威回復を図ったが、政治暴力が各地へ広がった
直弼の死はしばらく病死扱いとされました。幕府は和宮降嫁など朝廷との融和を進めましたが、尊王攘夷派と幕府側の暗殺・弾圧が続きました。
DEEP DIVE
大老暗殺は、幕府をすぐに倒す決定打だったのか。
幕府はその後も約7年存続しましたが、最高権力者を江戸城前で守れなかった事実は威信を大きく傷つけました。合議と妥協より暗殺が政治を動かす危険な先例にもなりました。
BACKGROUND
背景を掘り下げる
無勅許調印
直弼は外交上の猶予がないとして、天皇の勅許前に通商条約を結びました。
将軍継嗣問題
年長の慶喜か紀州家の慶福かをめぐり、諸大名が政治運動を展開しました。
安政の大獄
反対派の大名・公家・志士を処分し、水戸藩内の憎悪が強まりました。
CHRONOLOGY
何が起こったのか
通商条約へ調印
勅許を得ないまま米国などと条約を結びました。
安政の大獄
吉田松陰らが処罰され、慶喜も謹慎しました。
桜田門外で襲撃
銃撃後、行列へ斬り込み直弼を討ちました。
文久の改革
幕府は参勤交代緩和などで体制再編を試みました。
KEY PEOPLE
桜田門外の変を動かした人物
RELATIONSHIP
桜田門外の変 人物相関図
条約・継嗣問題をめぐる大老、朝廷、一橋派の対立を整理します。
井伊 直弼大老・政策を強行
孝明天皇通商条約に勅許を与えず
徳川 慶喜一橋派の将軍候補井伊 直弼条約をめぐる緊張孝明天皇勅許前に通商条約へ調印
井伊 直弼将軍継嗣徳川 慶喜慶喜を退け家茂を選定し謹慎処分
QUESTIONS
よくある疑問
襲撃者は開国そのものに反対したのか
尊王攘夷を掲げ、無勅許調印と水戸藩処分を特に問題視しました。動機には濃淡があります。
なぜ彦根藩士は防げなかったのか
雪で刀に柄袋を掛け、最初の銃撃で隊列が混乱したことなどが重なりました。
これで幕府は終わったのか
直後に崩壊はしませんが、権威低下と公武合体への方針転換を促しました。
IMPACT
その後、何が変わったか
幕府権威の失墜
最高職を城門前で失い、統治と警備の弱さが露呈しました。
公武合体への転換
和宮降嫁など朝廷との融和で立て直しを図りました。
政治暴力の連鎖
天誅・暗殺が政治手段として各地に広がりました。
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