明治時代 / 明治7年
明治7年
自由民権運動
板垣退助らの民撰議院設立建白書を起点に、国会開設・憲法制定・権利保障を求める運動が全国へ広がった。
士族指導者だけでなく、豪農・商人・教員・女性らが結社、演説会、新聞、地方議会で参加。私擬憲法を作り、国家の形を地域から議論した。
- 場所
- 高知県・立志社跡
- 天皇
- 明治天皇第122代天皇
- 関係人物
- 3名

OVERVIEW
自由民権運動を4段階で理解する
政府の重要政策が少数の官僚で決まり、税と兵役の負担は地方へ及んだ
明治六年政変で政府を去った政治家と、地租改正・徴兵令に直面した地方社会が、代表を通じた政治参加を求めるようになりました。
板垣退助らが『有司専制』を批判し、民選議院の設置を建白した
1874年1月、左院へ民撰議院設立建白書を提出。政府内の一部官僚だけでなく、納税する人民の公議を政治へ反映させるよう主張しました。
土佐の立志社から全国の政治結社へ広がり、演説と憲法草案が生まれた
国会期成同盟が請願を集め、各地の結社が学習会・演説会を開催。五日市憲法草案など、主権・権利・地方自治をめぐる多様な私擬憲法が作られました。
政府は1890年の国会開設を約束する一方、運動を規制した
1881年の国会開設の勅諭後、自由党と立憲改進党が結成。集会条例などの弾圧、松方デフレ、激化事件を経て運動は変質し、議会政治へ移りました。
DEEP DIVE
自由民権運動は、政治家だけの国会開設運動だったのか。
地方の豪農・商人・教員・青年・女性まで参加した社会運動でした。演説、新聞、学習会、請願、私擬憲法を通じ、権利と国家像を地域から議論しました。
BACKGROUND
背景を掘り下げる
有司専制批判
少数官僚の政策決定に対し、公議と代表制を求めました。
地方負担
地租・徴兵・物価変動が政治参加の要求と結びつきました。
新聞と演説
新しいメディアと集会が政治語彙を全国へ広げました。
CHRONOLOGY
何が起こったのか
建白書提出
板垣らが民選議院を要求しました。
国会期成同盟
全国から請願を集めました。
国会開設の勅諭
1890年の開設が約束されました。
政党結成
自由党と立憲改進党が生まれました。
KEY PEOPLE
自由民権運動を動かした人物
RELATIONSHIP
自由民権運動 人物相関図
国会開設を求める運動と、政府側の立憲化をめぐる関係を整理します。
板垣 退助立志社・自由党
大隈 重信立憲改進党
明治天皇国会開設の勅諭
伊藤 博文憲法制度を設計板垣 退助開設時期と制度伊藤 博文早期国会要求と政府主導の漸進策
板垣 退助政党政治大隈 重信路線は異なるが国会開設を要求
明治天皇勅諭と制度設計伊藤 博文政府主導で憲法・国会を準備
QUESTIONS
よくある疑問
普通選挙を求めていたのか
主張は多様で、納税資格を前提とする案も多く、現在の普通選挙と同じではありません。
女性は参加しなかったのか
岸田俊子・景山英子らが演説や活動に参加しましたが、集会条例で女性の政治活動は制限されました。
IMPACT
その後、何が変わったか
国会開設
政府に憲法と議会の具体的日程を示させました。
政党の誕生
異なる政策を掲げる政党政治の基盤を作りました。
地域の政治学習
権利・自治・憲法を議論する公共圏が各地に生まれました。
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