明治時代 / 明治23年
明治23年今から約136年前
第1回帝国議会
大日本帝国憲法の施行とともに帝国議会が開会。選挙で選ばれた衆議院と貴族院が予算・法律を審議する立憲政治が始まった。
議会開設は自由民権運動の要求を制度化した一歩だったが、選挙権は高額納税の25歳以上男性に限られ、女性や大多数の成人男性は政治参加から排除されていた。
- 場所
- 東京・仮議事堂
- 天皇
- 明治天皇第122代天皇
- 関係人物
- 5名

PARLIAMENT / 1890
予算をめぐる、政府と民党。
初の帝国議会では、超然主義を掲げる政府と、民力休養を求める衆議院多数派が対峙しました。- 政府01軍備予算を確保したい
山県有朋内閣が国家独立と軍備拡張を優先し、政党から距離を置く。
- 民党02地租軽減・経費節減
自由党・改進党系が衆議院の多数を占め、民力休養を要求。
- 調整03予算修正と切り崩し
政府が一部議員と妥協し、削減された予算を成立させる。
- 定着04議会政治の交渉が始まる
対立と妥協を重ね、政府と政党の関係が政治の中心課題となる。
OVERVIEW
第1回帝国議会を4段階で理解する
憲法発布の翌年、政府は議会と予算を共有する段階へ入った
1889年の大日本帝国憲法は、法律と予算に帝国議会の協賛を必要としました。政府は藩閥官僚を中心に構成され、自由民権運動から生まれた政党勢力は衆議院で『民力休養・政費節減』を掲げました。
初の総選挙は実施されたが、有権者は人口の約1%だった
直接国税15円以上を納める25歳以上の男性だけが衆議院議員を選べました。貴族院は皇族・華族・勅任議員などで構成され、普通選挙や男女平等の議会ではありません。
山県内閣と民党が予算をめぐって激しく対立した
1890年11月29日に第1回帝国議会が開会。政府は軍備と行政の予算を求め、民党は地租負担の軽減と歳出削減を主張しました。妥協の末に予算は成立し、政府も議会を無視できないことが示されます。
対立と提携を繰り返しながら政党が統治に組み込まれた
初期議会では解散や選挙干渉も起きましたが、日清戦争後には政府と政党が接近。議会は権力を完全に統制できなかった一方、政策と予算を公開の場で争う回路になりました。
DEEP DIVE
帝国議会の開設は、日本を民主主義国家にしたのか。
代表制と公開審議を始めた重要な転換でしたが、選挙権はごく一部の男性に限定され、内閣は議会ではなく天皇に責任を負いました。前進と制限を同時に見る必要があります。
BACKGROUND
背景を掘り下げる
国会開設運動
板垣退助らの建白と各地の民権運動が、政府に国会開設の時期を明示させました。
憲法と選挙法
憲法、衆議院議員選挙法、貴族院令が議会の構成と権限を定めました。
超然主義
政府は政党から距離を置く姿勢を示しましたが、予算成立には衆議院との交渉が必要でした。
CHRONOLOGY
何が起こったのか
国会開設の勅諭
1890年に国会を開く方針が示されました。
憲法発布
二院制と立法・予算審議の枠組みが定まりました。
第1回総選挙
限定選挙ながら全国で衆議院議員が選ばれました。
第1回帝国議会開会
山県内閣と民党が予算をめぐり対立しました。
予算成立
削減と妥協を経て初の議会を通過しました。
KEY PEOPLE
第1回帝国議会を動かした人物

山県 有朋
当時 約52歳西暦差による目安政府の責任で国政を進める。だが予算には議会がある。
人物詳細 →
板垣 退助
当時 約53歳西暦差による目安国会は開いた。次は、より広い民意を届ける。
人物詳細 →
大隈 重信
当時 約52歳西暦差による目安議会を政党政治へ育てねばならない。
人物詳細 →
伊藤 博文
当時 約49歳西暦差による目安憲法の枠を、実際の政治で動かす時だ。
人物詳細 →
明治天皇
当時 約38歳西暦差による目安新しい議会が開かれる。
人物詳細 →RELATIONSHIP
第1回帝国議会 人物相関図
政府と民党が予算をめぐって向き合い、憲法上の制度を実際の政治へ動かした関係を整理します。
山県 有朋第1次山県内閣の首相
伊藤 博文憲法・議会制度の設計者
板垣 退助自由党系勢力
大隈 重信改進党系勢力山県 有朋予算対立板垣 退助軍備・行政費と民力休養をめぐる対立
伊藤 博文制度構想の違い大隈 重信議会・内閣のあり方をめぐる長期的対立
QUESTIONS
よくある疑問
女性は選挙や政治集会に参加できたか
選挙権はなく、集会・結社にも強い制限がありました。女性の参政権実現は戦後まで待つことになります。
議会は内閣を倒せたか
明治憲法下の内閣は議会に対する責任を制度上負いませんでした。ただし予算拒否や世論による圧力は政権運営を左右しました。
藩閥対民党だけで説明できるか
政党側にも旧藩・地域・政策の違いがあり、政府と提携する議員もいました。固定的な二陣営ではありません。
IMPACT
その後、何が変わったか
公開審議の開始
法律と予算を議会で討論する政治過程が定着しました。
政党の制度化
民権運動の勢力が議会政党へ移り、政府との交渉主体になりました。
参加制限の可視化
納税額・性別による排除が、普通選挙を求める次の運動課題になりました。
WALK THROUGH LATE MEIJI / PR
議会・外交・産業の舞台を、東京でたどる
国会前庭、外交史料館、日比谷公園、旧新橋停車場を結び、列強化の成果と、戦費・公害・植民地支配の代価を同じ一日で考えるコースです。
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