明治時代 / 明治35年
明治35年
日英同盟
日本と英国が東アジアでの利益と相互援助を定めた同盟を締結。日本は外交的孤立を脱し、ロシアへの抑止力を得た。
同盟は『対等外交の達成』である一方、英国の中国、日本の朝鮮における利益を相互に認める列強間協定であり、地域住民の主権を守る枠組みではなかった。
- 場所
- 東京・外務省
- 天皇
- 明治天皇第122代天皇
- 関係人物
- 4名

OVERVIEW
日英同盟を4段階で理解する
ロシアが満洲に軍を残し、日本は朝鮮への影響力を求めた
義和団事件後、ロシアは満洲へ大軍を駐留。英国も中国での権益を守る必要があり、従来の『栄光ある孤立』を見直して日本との協力を検討しました。
一国との戦争では中立、二国以上との戦争では参戦を定めた
日本がロシアと戦う場合、第三国の介入を抑える効果が期待されました。英国にとっても、極東へ大艦隊を常時置かずにロシアを牽制できる利点がありました。
小村寿太郎と林董が交渉し、1902年1月30日にロンドンで調印した
協約は中国・朝鮮の独立を掲げながら、英国の中国、日本の朝鮮での『特殊利益』を認めました。海軍協力に関する交換公文もありました。
日露戦争で第三国介入を抑え、同盟は植民地秩序を補強した
英国は中立を保ちつつ情報・金融・港湾面で日本を支えました。1905年、1911年に改定され、第一次世界大戦でも機能しましたが、1923年に失効しました。
DEEP DIVE
日英同盟は、日本を対等な列強にした平和の同盟だったのか。
外交的孤立を緩和し抑止力を高めましたが、同盟は列強が中国・朝鮮で持つ利益を相互承認する枠組みでもありました。誰の安全と利益を守ったのかを問う必要があります。
BACKGROUND
背景を掘り下げる
ロシアの満洲駐留
撤兵交渉が進まず、日本と英国の警戒が強まりました。
英国の政策転換
欧州・世界規模の競争に対応するため、英国は同盟を持たない原則を修正しました。
朝鮮をめぐる特殊利益
同盟は朝鮮の主権より、日本が求めた影響力を認める方向へ機能しました。
CHRONOLOGY
何が起こったのか
日英交渉本格化
林董駐英公使と英国外相ランズダウンが協議しました。
第一次日英同盟調印
ロンドンで協約が署名されました。
日露戦争
英国は中立を維持し、第三国の参戦を抑えました。
第二次同盟
適用範囲と援助義務が拡大されました。
第三次同盟
対米関係を考慮して条文が調整されました。
KEY PEOPLE
日英同盟を動かした人物
QUESTIONS
よくある疑問
不平等条約と同盟は矛盾しないか
1894年に治外法権撤廃の条約が結ばれ、同盟は日本の国際的地位上昇を示しました。ただし植民地秩序の内部での対等化でした。
英国は日露戦争に直接参戦したか
ロシア一国との戦争だったため直接参戦せず中立でした。ただし情報・金融・補給環境で日本に有利に働きました。
中国・朝鮮の意思は反映されたか
協定は両国の利益を基準に作られ、地域住民の政治参加や主権保障を中心に置いていません。
IMPACT
その後、何が変わったか
外交的孤立の緩和
日本は大国との同盟を得て、対露交渉と開戦判断の環境を変えました。
日露戦争への抑止効果
フランスなどがロシア側で参戦する可能性を抑えました。
帝国秩序の強化
日本の朝鮮支配と英国の中国権益を相互承認する面を持ちました。
WALK THROUGH LATE MEIJI / PR
議会・外交・産業の舞台を、東京でたどる
国会前庭、外交史料館、日比谷公園、旧新橋停車場を結び、列強化の成果と、戦費・公害・植民地支配の代価を同じ一日で考えるコースです。
明治後期・東京歴史モデルコースを見る →※ 当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。リンク先で購入・予約が成立した場合、運営者に報酬が入ることがあります。SOURCES



