明治時代 / 明治37年
明治37年
日露戦争
満洲・朝鮮をめぐる対立から日本とロシアが開戦。旅順・奉天・日本海で激戦が続き、日本は勝利したが人的・財政的負担は限界に達した。
日本海海戦だけでなく、旅順攻囲の大量死、満洲・朝鮮の住民被害、増税と外債、捕虜、反戦論まで含む総力戦。勝利は韓国支配と南満洲権益の拡大へ直結した。
- 場所
- 長崎県・佐世保
- 天皇
- 明治天皇第122代天皇
- 関係人物
- 5名

OVERVIEW
日露戦争を4段階で理解する
義和団事件後、ロシアが満洲に駐留し朝鮮へ影響力を伸ばした
日本はロシアに満洲での優越と引き換えに朝鮮での日本の優越を認める交渉を求めましたが合意できず、日英同盟を背景に開戦へ傾きました。
旅順・遼陽・奉天と海上で大規模な戦闘が続いた
1904年2月に日本海軍が旅順口を攻撃。陸軍は朝鮮から満洲へ進み、旅順要塞では双方に甚大な損害が出ました。1905年5月、東郷平八郎の連合艦隊が日本海海戦でロシア艦隊を破ります。
徴兵・増税・外債で戦争を支え、家族と地域も動員された
戦費は国家予算を大きく超え、英米市場で外債を発行。非常特別税、軍馬・物資の徴発、出征兵士家族の生活難が広がり、社会主義者やキリスト者には非戦論もありました。
講和は賠償金なしで成立し、日本の韓国支配が強まった
国力の限界から米国の仲介を求め、ポーツマス条約を締結。ロシアは韓国での日本の指導権を認め、日本は旅順・大連の租借権、南満洲鉄道利権、南樺太を得ました。
DEEP DIVE
なぜ日本はロシアに勝てたのに、賠償金を得られなかったのか。
主要会戦には勝利しましたが、日本の兵力・弾薬・財政は限界に近く、ロシア本土を占領して賠償を強制できる状況ではありませんでした。勝利と交渉力は同じではありません。
BACKGROUND
背景を掘り下げる
満韓をめぐる交渉失敗
日本は朝鮮、ロシアは満洲での優越を求め、相互承認の範囲で折り合えませんでした。
日英同盟と外債
同盟は第三国介入を抑え、英米金融市場での戦費調達を助けました。
動員国家
徴兵・税・鉄道・電信・工業生産が戦場と国内社会を結びました。
CHRONOLOGY
何が起こったのか
開戦
日本海軍が旅順口を攻撃し、国交断絶後に宣戦しました。
鴨緑江を越える
日本陸軍が朝鮮から満洲へ進みました。
旅順攻囲
要塞戦で双方に多数の死傷者が出ました。
奉天会戦
大規模陸戦でロシア軍が後退しました。
日本海海戦
連合艦隊がバルチック艦隊を破りました。
ポーツマス条約
賠償金なしで講和が成立しました。
KEY PEOPLE
日露戦争を動かした人物
RELATIONSHIP
日露戦争 日本側人物相関図
陸海軍・外交・政府が別々の課題を抱えながら、戦争継続と講和を進めた関係を整理します。
東郷 平八郎連合艦隊・海上作戦
乃木 希典第3軍・旅順攻略
山県 有朋参謀総長・元老
小村 寿太郎外相・講和全権
伊藤 博文元老・対韓政策東郷 平八郎軍事と講和小村 寿太郎日本海海戦の勝利が講和交渉を後押し
乃木 希典陸軍指揮系統山県 有朋旅順攻略と満洲軍作戦をめぐる関係
小村 寿太郎政府・元老伊藤 博文講和と韓国支配強化を調整
QUESTIONS
よくある疑問
日本が圧倒的に勝ったのか
海戦などで決定的勝利を得ましたが、陸軍の損害と財政負担は深刻でした。ロシア国内の革命も講和環境に影響しました。
国内は全員開戦を支持したか
幸徳秋水、内村鑑三、与謝野晶子らが異なる立場から戦争・犠牲を批判しました。支持一色ではありません。
満洲・朝鮮の住民には何が起きたか
軍用地・物資・労働の徴発、戦闘、避難などの影響を受けました。二国間の英雄史だけでは現地社会が消えてしまいます。
IMPACT
その後、何が変わったか
列強としての地位上昇
日本は大国ロシアに勝利し、国際的発言力を高めました。
韓国支配の強化
戦争中から協約で主権を制限し、統監府設置へ進みました。
増税と社会不満
戦後も非常特別税が残り、講和条件への怒りと民衆騒擾が起きました。
WALK THROUGH LATE MEIJI / PR
議会・外交・産業の舞台を、東京でたどる
国会前庭、外交史料館、日比谷公園、旧新橋停車場を結び、列強化の成果と、戦費・公害・植民地支配の代価を同じ一日で考えるコースです。
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