奈良時代 / 養老7年
養老7年今から約1303年前
三世一身法
新たな用水施設を造って開墾した田は三世代、既存施設を使う場合は本人一代の私有を認めた。口分田不足に対応し、律令制の土地原則を現実に合わせた政策。
『土地の私有を初めて認めた法律』とだけ説明すると不十分。対象は新規開墾地で、開墾方法に応じて保有期限が異なった。期限後に国へ返す仕組みでは開墾意欲が続かず、20年後の墾田永年私財法へつながった。
- 場所
- 大和国・平城京/全国の墾田
- 天皇
- 元正天皇第44代天皇
- 関係人物
- 3名

OVERVIEW
三世一身法を4段階で理解する
班田収授を続けるには口分田が不足し、新しい耕地を増やす必要があった
律令制では戸籍に基づいて人々へ口分田を支給し、死後に国へ返させることが原則でした。人口増加と既存耕地の限界、荒廃田の存在により、班田のための田地確保が難しくなっていました。
開墾には用水路・池・溝を整える大きな労力が必要だった
完成後にすぐ国へ戻すのでは投資に見合いません。朝廷は新しい灌漑施設を造る開墾なら三世代、既存施設を利用する開墾なら本人一代の保有を認め、開発を促そうとしました。
723年、期限付きで新規墾田を私有できる法が出された
三世とは子・孫・曾孫までを指すと解釈されます。誰でも無制限に土地を囲い込める制度ではなく、開墾の申請・範囲・期限を定めた国家の農地拡大策でした。
期限付きでは開発が続かず、743年に永年私有へ切り替えられた
寺社・貴族・地方有力者は労働力を集めて開墾を進めました。墾田永年私財法で永年私有が認められると初期荘園の形成が進み、律令的土地制度も長期的に変化しました。
DEEP DIVE
三世一身法は、律令制を壊す法律だったのか。
むしろ当初は、班田収授を維持するため耕地を増やす政策でした。ただし期限付き私有を認めたことが、のちの永年私有と荘園形成へつながる転換点になりました。
BACKGROUND
背景を掘り下げる
班田収授を続けるには口分田が不足し、新しい耕地を増やす必要があった
律令制では戸籍に基づいて人々へ口分田を支給し、死後に国へ返させることが原則でした。人口増加と既存耕地の限界、荒廃田の存在により、班田のための田地確保が難しくなっていました。
開墾には用水路・池・溝を整える大きな労力が必要だった
完成後にすぐ国へ戻すのでは投資に見合いません。朝廷は新しい灌漑施設を造る開墾なら三世代、既存施設を利用する開墾なら本人一代の保有を認め、開発を促そうとしました。
723年、期限付きで新規墾田を私有できる法が出された
三世とは子・孫・曾孫までを指すと解釈されます。誰でも無制限に土地を囲い込める制度ではなく、開墾の申請・範囲・期限を定めた国家の農地拡大策でした。
CHRONOLOGY
何が起こったのか
大宝律令
班田収授と租税の仕組みが整えられました。
元正天皇即位
首皇子への中継ぎとして皇位を担いました。
三世一身法
新規開墾地の期限付き私有を認めました。
聖武天皇即位
首皇子が即位し、奈良朝の政治を引き継ぎました。
墾田永年私財法
条件付きで永年私有へ切り替えられました。
KEY PEOPLE
三世一身法を動かした人物
RELATIONSHIP
三世一身法 政治関係図
政策を出した元正天皇と政務を担った長屋王、次の聖武朝への継承を整理します。
元正天皇第44代天皇・法を施行
長屋王右大臣・政権首脳
聖武天皇皇太子・翌年に即位元正天皇政務を委ねる長屋王元正天皇のもとで長屋王が政権を担う
「律令の仕組みを保ちながら、口分田不足への現実的な答えが要る。」
「期限を設けて開墾を促し、田地不足をまず和らげる。」
元正天皇皇位をつなぐ聖武天皇甥の首皇子へ翌年譲位
QUESTIONS
よくある疑問
三世とは三代だけか
法文の読みには論点がありますが、一般に開墾者の子・孫・曾孫までと説明されます。
既存の口分田も私有できたのか
対象は新しく開墾した田です。班田として支給される口分田とは分けて考えます。
すぐ荘園になったのか
一法だけで成立したのではなく、永年私有、寺社・貴族の開発、地方行政の変化が重なりました。
IMPACT
その後、何が変わったか
開墾奨励
用水整備へ投じた労力に期限付きの権利を与えました。
土地制度の調整
律令の原則を維持しつつ現実へ適応する試みでした。
永年私有への前段階
20年後の墾田永年私財法と初期荘園形成へつながりました。
SOURCES


