地図と人物でたどる、日本の時間。

戦国時代 / 永禄11年

1568
永禄11年

信長上洛

織田信長が足利義昭を奉じて京都へ入り、義昭を第15代将軍に就ける。信長の畿内支配が始まった。

信長は『将軍を京都へ戻す』という大義と軍事力を組み合わせ、畿内の政治へ参入した。しかし義昭が望む幕府再建と、信長が進める支配の仕組みは次第に衝突する。

場所
山城国・京都
天皇
正親町天皇第106代天皇
関係人物
4
足利義昭の肖像
足利義昭像室町幕府第15代将軍画像出典 ↗

OVERVIEW

信長上洛を4段階で理解する

01 / 時代背景

将軍義輝の死後、京都の政治秩序は不安定になっていた

1565年に13代将軍・足利義輝が殺害され、弟の義昭は将軍就任を目指して各地の大名に支援を求めました。美濃を攻略して岐阜を本拠にした信長は、義昭を擁立することで畿内へ進む大義を得ます。

02 / 起こった理由

義昭は将軍職を、信長は畿内進出の正統性を必要としていた

両者の利害は当初一致していました。義昭には京都へ入る軍事力がなく、信長には諸勢力を服属させる政治的な旗印が必要でした。六角氏を破って近江を通過し、短期間で京都へ到達します。

03 / 何が起こった

義昭が将軍となり、信長は京都の治安と政治を主導した

信長は三好方を畿内から退け、義昭は正親町天皇から将軍宣下を受けました。信長は京都の治安維持、所領争いの裁定、新たな将軍御所の建設を進め、幕府を支える立場から実権を広げます。

04 / その後

共同政権は長続きせず、命令権をめぐる対立が表面化した

信長は義昭の政治行動を制約する条書を出し、義昭は諸大名へ働きかけて信長に対抗しました。朝倉・浅井・武田・本願寺などとの包囲網が形成され、1573年の義昭追放へつながります。

DEEP DIVE

信長はなぜ、自ら将軍にならず足利義昭を奉じて京都へ入ったのか。

当時の政治では、足利将軍家の権威と命令系統がなお意味を持っていました。義昭の将軍就任を支えることで、信長は軍事行動を私戦ではなく幕府再興として説明できました。

上洛1568年永禄11年
将軍宣下10月足利義昭
進軍路美濃→近江六角氏を攻略
転機5年後義昭追放

LOCATION

地図で見る

ピンは、義昭のために築かれた旧二条城跡に近い京都御苑西側を示します。上洛軍の行動範囲は近江から京都・畿内に及びます。

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BACKGROUND

背景を掘り下げる

永禄の変

13代将軍・義輝が三好三人衆らに殺害され、将軍権力の空白と後継争いが生まれました。

信長の美濃攻略

稲葉山城を攻略して岐阜へ移り、近江を経て京都へ進出できる地理的条件を整えました。

義昭の諸国への働きかけ

越前の朝倉義景らにも支援を求めましたが実現せず、最終的に信長と結びつきました。

CHRONOLOGY

何が起こったのか

  1. 将軍義輝が殺害される

    弟の義昭は京都を脱出し、将軍就任の支援者を探しました。

  2. 信長が岐阜を本拠とする

    美濃攻略を終え、『天下布武』の印を用い始めます。

  3. 信長軍が近江へ進軍

    抵抗した六角氏を破り、京都への経路を確保しました。

  4. 信長・義昭が入京

    三好方は畿内から後退し、信長が京都の治安を掌握しました。

  5. 義昭が第15代将軍に就任

    幕府再建が始まる一方、信長の影響力も制度化されました。

KEY PEOPLE

信長上洛を動かした人物

RELATIONSHIP

信長上洛 人物相関図

永禄11年(1568)、軍事力を持つ信長と将軍職を望む義昭が協力し、朝廷からの将軍宣下へ至る関係を示します。

織田 信長擁立・協力足利 義昭信長の軍事力で義昭の入京を実現

足利 義昭将軍宣下正親町天皇正親町天皇から征夷大将軍に任じられる

織田 信長主従明智 光秀光秀は京都政務と将軍家との連絡を担う

1568年時点では信長と義昭の利害は一致していましたが、政治の主導権をめぐる対立が深まり、1573年の義昭追放へつながります。

QUESTIONS

よくある疑問

言葉

『天下布武』は全国統一宣言か

『天下』が畿内・京都の秩序を指す用例もあり、最初から全国征服だけを意味したかは検討が必要です。

政権像

義昭は信長の操り人形だったのか

義昭は独自に御内書を発給し、諸大名を調停・動員しようとしました。両者は協力者であると同時に権限を競う存在でした。

制度

幕府は1568年に復活したのか

将軍御所や奉公衆は再編されましたが、軍事と財政を信長に依存し、従来と同じ幕府へ戻ったわけではありません。

IMPACT

その後、何が変わったか

01

信長の畿内支配

京都を押さえ、朝廷・幕府・寺社・商人との交渉を直接担う全国政治の中心人物になりました。

02

義昭幕府の再建

足利将軍の権威は一時回復しましたが、実力を持つ信長との二重構造が新たな対立を生みました。

03

信長包囲網へ

義昭は反信長勢力を結びつけ、浅井・朝倉、本願寺、武田氏との長期戦につながりました。

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SOURCES

根拠と参考資料

京都市年表京都の都市史年表義昭入京と将軍就任、旧二条城建設を掲載。一次情報を見る ↗京都市概説京都市の歴史信長上洛から義昭追放までを都市史として概説。一次情報を見る ↗一次史料信長公記上洛戦と京都での施策を記す基礎史料。一次情報を見る ↗