地図と人物でたどる、日本の時間。

真田 信之の肖像
肖像の出典 ↗Public Domain

PERSONAL FILE / 武将

さなだ のぶゆき

真田 信之

関ヶ原後も真田家を存続させた初代松代藩主

真田昌幸の長男で、信繁の兄。徳川家康の重臣・本多忠勝の娘である小松姫を妻とし、関ヶ原では東軍に属した。戦後に父と弟の助命を願い、上田領を受け継いだ。1622年に松代へ移り、93歳まで家と領国の運営を担った。

生没年
1566—1658
主な所属
真田家・東軍・松代藩
関わった出来事
4
真田 信之の家紋・六文銭
家紋・紋章六文銭古典意匠を当サイトで再描画/CC0 1.0

出典 ↗ CC0 1.0

QUICK GUIDE

まず3分でわかる、真田 信之

WHAT

関ヶ原で東軍を選び、真田宗家を残した

父・昌幸と弟・信繁が西軍につく中、徳川方に残りました。戦後に上田領を継ぎ、のち松代藩の基礎を築きます。

FAMILY

本多忠勝の娘・小松姫との婚姻

徳川家の有力家臣と婚姻で結ばれ、東軍を選ぶ政治的背景の一つとなりました。

CAUTION

地味な生存者ではなく、約60年の領国経営者

父と弟の戦いが有名ですが、信之は上田・松代で長期にわたり家臣団、城下町、年貢、幕府との関係を運営しました。

LIFE TIMELINE

真田 信之の生涯年表

  1. 真田昌幸の長男として生まれる

    のち信幸と名乗り、真田家の後継者となった。

  2. 徳川方との関係を深める

    本多忠勝の娘・小松姫と結婚し、家康の配下として活動した。

  3. 関ヶ原で東軍を選ぶ

    父・弟と分かれ、徳川方に属した。

  4. 上田領を継ぐ

    真田宗家の大名家を存続させ、城下と領国を再建した。

  5. 松代へ移封

    上田から信濃松代へ移り、十万石の藩政を始めた。

  6. 隠居

    家督を信政へ譲ったが、後継問題に対応し続けた。

  7. 松代で死去

    戦国から江戸前期までを生き、真田家を次代へ残した。

BIOGRAPHY

真田 信之は、どんな生涯を送ったか

01

真田家の後継者と徳川家の婿

信之は昌幸の長男として生まれ、当初は信幸と名乗りました。武田氏滅亡後の混乱を父とともに生き、徳川家康の重臣・本多忠勝の娘である小松姫と結婚します。

この婚姻は個人の夫婦関係だけでなく、真田家と徳川方を結ぶ政治的な回路でした。信之が関ヶ原で東軍を選ぶ背景には、領地・主従・婚姻が重なっています。

02

父・弟と分かれた関ヶ原

1600年、昌幸と信繁は西軍、信之は東軍につきました。後世には一族がどちらが勝っても家を残せるよう計画的に分かれたという物語があります。

しかし、事前の密約を確定できる史料はありません。信之は徳川家との関係を持ち、昌幸は豊臣政権下の立場と上杉方との関係を持っていました。それぞれの政治的位置から異なる選択をしたと見るのが慎重です。

03

上田から松代へ、戦後を生きた六十年

関ヶ原後、信之は父の旧領を含む上田領を与えられました。戦争で終わったのではなく、領地の再編、城下町、年貢、家臣団、幕府の普請・軍役への対応が続きます。

1622年に松代へ移封されると、真田家は以後この地を本拠としました。信之は隠居後も後継者の早世などに対応し、93歳で亡くなるまで家の存続に関わりました。

HISTORICAL ROLE

真田 信之は、その時何をしたか

真田家の大名家を存続

上田領を継承

昌幸の旧領を含む上田領を与えられ、城と城下町を整えた。父や弟とは異なる選択によって、真田宗家を江戸時代へ残した。

ACHIEVEMENTS & LIMITS

何を成し遂げ、何が分からないか

ACHIEVEMENT

真田宗家を江戸時代へ残した

東軍を選び、上田・松代で大名家を存続させ、幕末まで続く真田家の基盤を築きました。

GOVERNANCE

戦後の領国を長く運営した

城下町、家臣団、財政、幕府の役務へ対応し、戦国武将から近世大名へ役割を変えました。

COST

家の存続は父・弟との別離を伴った

助命に尽力したとされる一方、昌幸と信繁は九度山へ送られ、再び同じ家で暮らすことはありませんでした。

RELATIONSHIPS

真田 信之を取り巻く人と組織

父・関ヶ原では西軍

真田昌幸人物詳細 →

戦後に領地を失い、九度山へ送られた。信之は助命を願ったとされる。

正室

小松姫

本多忠勝の娘。徳川家との婚姻関係を結んだ。

岳父・徳川重臣

本多忠勝

娘・小松姫を通じて信之と結ばれ、父弟の助命にも関わったとされる。

MYTHS & UNCERTAINTIES

伝承と史実を分けて見る

?

犬伏で三人が家を残す相談をした?

犬伏で親子が進路を話したことは伝わりますが、最初から東西へ分かれて家を残す計画だったという細部は後世の物語を含みます。

?

小松姫は義父・昌幸を城へ入れなかった?

沼田城での逸話は広く知られますが、軍記や家伝により形づくられた部分があります。婚姻と家の政治的立場を示す物語として慎重に扱います。

?

信之は弟より地味な武将?

信繁は大坂の陣の劇的な戦死で有名になりました。信之の長期的な領国経営は物語化されにくいだけで、家の存続には不可欠でした。

FAMILY TREE

真田 信之の家系図

本人真田 信之
正室小松姫
真田 信繁人物詳細 →
次男・後継真田 信政

主要な直系・婚姻関係を抜粋。信之は当初『信幸』と表記し、関ヶ原後に『信之』へ改めました。

PLACES

真田 信之の足跡を現地でたどる

関ヶ原後の本拠

上田城跡

信之が戦後に受け継ぎ、城下と領国を再建した。

地図で見る ↗
真田家資料の所蔵館

真田宝物館

松代藩真田家に伝来した文書・武具・調度を所蔵する。

地図で見る ↗

FAQ

真田 信之についてよくある質問

Q01真田信之は何をした人ですか?

関ヶ原で東軍を選んで真田家を存続させ、上田藩主、のち松代藩主として長く領国を運営した武将です。

Q02真田信之と真田幸村は兄弟ですか?

兄弟です。信之が兄、幸村の名で知られる信繁が弟です。

Q03なぜ真田信之は父と弟を裏切ったのですか?

単純な裏切りではありません。信之は徳川家と主従・婚姻関係を持ち、父と弟は別の政治関係から西軍を選びました。

Q04真田信之は何歳まで生きましたか?

1566年生まれ、1658年没で、数え年93歳まで生きたとされます。

SOURCES

この記事の主な史料・参考資料