
PERSONAL FILE / 天皇
おおとものおうじ/こうぶんてんのう大友皇子/弘文天皇
近江朝廷を率い壬申の乱に敗れた第39代天皇天智天皇の皇子。父の晩年に太政大臣として近江朝廷を担い、天智天皇の死後に大海人皇子と戦った。瀬田橋の敗北後に自害。明治期に弘文天皇の追号が贈られた。
- 生没年
- 648—672
- 主な所属
- 皇室・近江大津宮
- 関わった出来事
- 1件

家紋・紋章十六八重表菊Philip Nilsson/Public Domain
HISTORICAL ROLE
大友皇子/弘文天皇は、その時何をしたか
壬申の乱
近江大津宮を拠点に群臣と軍勢を集め、大和・美濃方面へ軍を送った。瀬田橋の戦いで敗れた後、山前で自害したと『日本書紀』は伝える。
FAMILY TREE
大友皇子/弘文天皇の家系図
父・第38代天智天皇
母伊賀宅子娘
本人・第39代弘文天皇
皇子葛野王
主要な直系を抜粋。即位記事が『日本書紀』にないため歴史上議論があり、1870年に弘文天皇の追号が贈られました。
皇室の系図(宮内庁) ↗