大正時代 / 大正14年
大正14年今から約101年前
男子普通選挙法と治安維持法
25歳以上の男性へ衆議院選挙権を広げる改正選挙法が成立する一方、国体変革や私有財産制度否認を目的とする結社を取り締まる治安維持法も制定された。
政治参加の拡大と思想統制が同じ年に進んだ。納税要件は撤廃されたが女性は選挙権から除外され、植民地下の人々の権利も本土の男性有権者と同じではなかった。
- 場所
- 東京・帝国議会
- 天皇
- 大正天皇第123代天皇
- 関係人物
- 2名

EXPANSION & CONTROL / 1925
広がる選挙権、狭められる自由。
同じ年に成立した二つの法律を、参加と統制の両面から比較します。- 拡大01納税要件を撤廃
25歳以上の男性へ衆議院選挙権を広げる。
- 排除02女性は対象外
『普通選挙』でも女性参政権は実現しない。
- 統制03治安維持法
体制変革を目的とする結社と運動を処罰対象にする。
- その後04参加と弾圧が並行
1928年の総選挙後、三・一五事件で大規模検挙。
OVERVIEW
男子普通選挙法と治安維持法を4段階で理解する
納税額による制限がなくなり、有権者は約4倍になった
改正衆議院議員選挙法により、25歳以上の男性は納税額にかかわらず投票できるようになりました。長く続いた普通選挙運動が大きな制度変更へ結びつきます。
『普通』選挙でも、女性には選挙権がなかった
対象は男性に限られ、女性参政権は1945年の選挙法改正まで実現しませんでした。年齢・居住などの要件や植民地における権利の格差も残りました。
治安維持法が、思想と運動を取り締まる枠組みになった
政府は共産主義運動などへの警戒から、国体変革や私有財産制度否認を目的とする結社を処罰する法律を制定しました。のちに改正され、宗教・労働・学術など広い範囲の弾圧へ使われます。
最初の男子普通選挙は1928年に実施された
有権者の増加で無産政党も議席を得る一方、選挙干渉と治安維持法による検挙が進みました。制度上の参加拡大が、そのまま自由の拡大だけを意味したわけではありません。
DEEP DIVE
なぜ選挙権の拡大と思想統制が、同じ年に進んだのか。
政党は大衆の政治参加を取り込みながら、社会主義・共産主義運動と植民地独立運動が既存秩序を揺るがすことを恐れました。参加の入口を広げる一方、体制変革を目指す運動を法で抑える二面性がありました。
BACKGROUND
背景を掘り下げる
普通選挙運動
政党、労働者、学生、市民団体などが納税要件撤廃を求め、第一次世界大戦後に運動が拡大しました。
ロシア革命と社会運動
政府と支配層は、共産主義や労働運動、植民地の独立運動が広がることを警戒しました。
女性の政治参加
女性団体も政治活動を広げましたが、集会参加を妨げる制度の改正は進んでも選挙権獲得には至りませんでした。
CHRONOLOGY
何が起こったのか
普通選挙運動が拡大
デモや請願が各地で行われました。
納税要件を引き下げ
有権者は増えましたが、普通選挙には届きませんでした。
治安維持法成立
体制変革を目的とする結社を処罰対象としました。
改正選挙法公布
25歳以上の男性から納税要件を撤廃しました。
初の男子普通選挙
有権者が大幅に増え、無産政党も議席を得ました。
三・一五事件
治安維持法により共産党関係者らが全国で検挙されました。
KEY PEOPLE
男子普通選挙法と治安維持法を動かした人物
QUESTIONS
よくある疑問
なぜ『普通選挙』と呼ぶのか
当時は納税要件を撤廃した男性選挙を普通選挙と呼びました。現在の普通選挙原則と比べれば、女性を除外した不完全な制度です。
交換条件として成立したのか
参加拡大と秩序維持が同時期の政治課題だったことは重要ですが、単純な一対一の交換条件だったと断定するのは適切ではありません。
治安維持法は共産党だけを対象にしたのか
当初の主要対象は共産主義運動でしたが、改正と運用拡大によって宗教者・学者・労働運動などへも適用されました。
IMPACT
その後、何が変わったか
有権者が大幅に増加
労働者・小農・若い男性など、それまで納税要件で除外された層が投票へ参加しました。
女性参政権運動が継続
排除が可視化され、女性たちは選挙権と被選挙権を求め続けました。
思想弾圧の法的基盤
治安維持法は昭和期に強化され、戦時体制下の自由抑圧へつながりました。
SOURCES




