
PERSONAL FILE / 政治家
たなか しょうぞう田中 正造
足尾鉱毒被害を議会と現地から訴えた政治家下野国出身。自由民権運動を経て第1回総選挙で衆議院議員となり、足尾銅山の鉱毒被害を追及した。議員辞職後は明治天皇への直訴を試み、谷中村の遊水地化に反対して被害地に住み続けた。
- 生没年
- 1841—1913
- 主な所属
- 栃木県会・衆議院・被害民運動
- 関わった出来事
- 1件
HISTORICAL ROLE
田中 正造は、その時何をしたか
足尾鉱毒事件
鉱毒停止と救済を国会で繰り返し求め、1901年に議員を辞職して直訴を試みた。問題を一人の英雄物語にせず、渡良瀬川流域の農民・女性・地域共同体の長い運動と重ねて見る必要がある。
READ, THEN WALK
田中 正造の時代を、明治後期の東京でたどる
国会前庭、外交史料館、日比谷公園、旧新橋停車場を巡り、議会・外交・産業の発展とその代価を一日で考えます。
HISTORY MODEL COURSE明治後期・東京歴史1日モデルコース約8時間/5地点/自主散策・ツアー比較モデルコースを見る →FAMILY TREE
田中 正造の家系図
本人田中 正造
妻田中 カツ
主要な婚姻関係を掲載しています。鉱毒問題では家族だけでなく被害地の住民組織が活動を支えました。
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